消費に追われる消費資本主義と現代人

消費に追われる消費資本主義と現代人

 

映画を早送りで観る、あるいは飛ばし飛ばし観るという、一種の社会的病理の爆増を憂いる記事を読んだ。人類の体感速度が技術革新で上昇したわけでもないのに、コンテンツの再生速度ならびに消費ペースだけが加速しているらしい。

 

これが驚くべきことに、先週noteにしたためた記事と要点が同じだった。

 

 

ただの偶然とは言え、大きめのキュレーションメディアから出てくるなんておもしろいこともある。まぁこんなありふれた話、学校のテロリスト占拠妄想のように、ある程度誰でも考えることだろうが。

 

 

簡単に言えば、情報過多社会における我々現代人特有のムーブとは、効率とコスパを追求した要点のつまみ食いであり、言うなれば食パンの耳をよけて内相(白い部分)だけを食べるようなイメージだ。なにしろ耳はサブ的存在であり、メインである内相と比較して美味に欠け、また固くて咀嚼が面倒くさい。我々が食べたいのはメインだけ。

 

現代人───というよりほとんど若年層の話になるだろうが、とりわけスマホデジタルネイティブ世代は刺激の弱いパートを省きたがる。別の表現をすれば、"情報的な濃度の薄い部分" を良しとしない。とにかくムダなのだ。ネットに溢れるコンテンツを次々と消費し、周囲の話題に追従するためには、要点を効率よく押さえていく必要がある。退屈な前置きや導入なんていらない。

 

アクション映画なら騒動に至る経緯描写をすっ飛ばし、アクションシーンと結末だけ確認する。バトルゲームのストーリムービーはスキップし、スキップ後はなぜか戦闘が始まっているが、そのいきさつなどどうでもいい。アダルトビデオなら、序盤の導入および前戯シーンをスキップする。音楽はサビだけ聴く。好きな配信者の配信は、見どころさんの切り抜きだけを見て満足する。本は目次を見ておもしろそうな章だけ読むか、ポイントを端折ってまとめたお手軽解説書だけ買う。あるコンテンツの世界観や概要を掴みたいときは、『〇分でわかる△△』などといったインスタントなまとめを見る。もはや作品の消化すら面倒くさいときは、ネットでネタバレ記事や解説記事を確認し、それで作品本編を摂取したことにする。また大抵の映像作品は、携帯端末を弄りながら "ながら見" する。

 

これらはいずれも、本編を隅々まで咀嚼することはない。なにしろ消費することに慌ただしく、端から端までチェックする時間などないからだ。何かひとつの事柄に対し100点の理解を得るくらいなら、彼らは厭わず10点の理解をそれぞれ10方面で得る。

 

我々には消費するべきコンテンツが山ほどあり、日々増えていく積みゲーのような娯楽のタスクを崩さなければならないし、またソシャゲのデイリー消化にも奔走しなければならない。彼らの目的とは流行りに乗って消費することであり、また周囲に迎合することにある。決してそれ自体を味わったり楽しむことではない。

 

ここで気付いた人は気付いたことと思うが、コンテンツを消費するべく時事ネタのつまみ食いを転々と繰り返していくその行動様式は、まさしくイナゴそのものである。

 

社会の監視のもとに暮らす人は、娯楽のときですら真っ先に考えるのは世の中に合わせることである。いつも大勢に順応していたいのだ。何かを選ぶときも、普通に行われていることの中からしか選ばない。人とは違った趣味や、変わった行動は犯罪のように避けようとする。

 

───ジョン・スチュアート・ミル

 

とは言え、現代人たちがイナゴ化するのは仕方のないことでもある。

 

ネットのインフラ化による情報流入は消費の忙しさを発生させ、またオーソドックスな感性の持ち主で構成されたオーソドックスなコミュニティにおいては、真新しいビッグコンテンツの情報ばかりが流通しているのだから、必然的に消費の択は時事的なもの───トレンディになるし、それを次々と乗り換えるようにもなるだろう。こんな様相では、いわゆるマイオナなんて考えが湧いて出るはずもない。

 

世間がシン・エヴァンゲリオンで盛り上がっている傍ら、例えば話題性の欠片もないインディーズ映画で細々と楽しめる人がいったいどれだけいるだろうか。平凡な感性やメンタリティでそれは難しい。普通の人ほど中央的な文化に追従し、せわしない消費を繰り返す。トレンドを拾い、食べ、そして次のトレンドへと移るサイクルを高速で繰り返す。

 

そしてひたすらメインストリームを消費するだけの、消費資本主義マシーンになる。

 

自由主義やダイバーシティによって何ものにも束縛されていないと勘違いした現代人は、何かと他人を奴隷呼ばわりしてあざ笑いはするものの、結局彼らにしたってスマホや消費の奴隷になっており、自分が思っているほど自由意思など持ち合わせていない。お前はスマホを操作していると思っていても、実際のところスマホがお前を操作している。

 

無様にもスマホに操られているお前が、資本家に操られている社畜を嗤うのか。そりゃ笑える話だ。

 

引用:https://www.stevecutts.com/illustration.html

 

そして企業およびマーケターは、集積されたデータに心理学やバイアスを絡めて利用し、顧客がより奴隷化してくれるよう策を弄している。彼らは今日も、より中毒化して離れられない魅力的なコンテンツ作りをする。こうして消費ゾンビは日々増やされていく。

 

まぁかく言う私にしても、インターネットを愛してやまない手前、インターネットに操られていると言っても過言ではない。そういう意味では、進撃の巨人やヴィンランド・サガで語られるような、『みんな何かの奴隷だ』というセリフは核心を突いている。

 

承認の奴隷

食の奴隷

金の奴隷

アルコールの奴隷

ニコチンの奴隷

性の奴隷

消費の奴隷

 

なんだかアツくなって話が逸れてしまった。

  

そしてこの記事も読まれていない

今ここにあるような記事を読む際も、読者はタイトルだけを読んで読んだ気になるか、あるいは見出しと末文、ついでに装飾部だけを拾って帰っていく。

 

これは以前から言われていることだが、ネットの読者は見出しだけ読んでいればまだマシな方で、中にはタイトルだけ読んで理解した気になっているアホが大量にいるらしく、例えばTwitterでは読んでいない記事をRTしている連中が大量にいる。たしか半数以上ものユーザーが読まずに拡散していることを示す統計があるらしい。だから釣りに引っかかったりミスリードされる。エアプや行間読みの炙り出しだ。

 

実際、私のブログに来ている人の中にも、ろくすっぽ読んでないのに通いつめてくる🐙が何人もいる。アクセスログ参照すれば一目瞭然なのよね。

 

 

タイトルと見出しだけを読みにこのブログへ通いつめる層には、私から嫌味と賞賛を送ろう。お前のアクセスログを見るたびウンザリするよ、まったく。

 

 

人間もコンテンツとするなら 

唯物的な考えだが、群れずとも生きられる現代人は他人をコンテンツとして見ている。寂しさを埋めるコンテンツか、あるいは暇つぶしのコンテンツ。決して生きるためではない。

 

他人も映画やゲームと変わらない。暇つぶしのための相手。

 

では、コンテンツ過剰になった世の中で、他人ひとりひとりの扱いはどうなるかと考えれば、同然ながら軽くなるだろう。他人にかまけるくらいなら他のことをした方が楽しい。人と話すよりインターネットで何かした方が楽しい。だから現代人は総じて人付き合いが減少し、家族団欒も近所付き合いも恋愛結婚も疎かになって孤立化を深めているし、この流れは何らかの革新でも起きない限り、今後ずっと加速していくだろう。

 

そうして他人ひとりひとりにかける時間は減少し、またそれぞれ他人を判別する際にコストを支払わなくなる。

 

今はネットを通じて大量の他人と知り合うことができ、また大量の他人が視界になだれ込んでくる。忙しいあなたは、その個々のアイデンティティをいちいち正確に判断しようとはしない。だからわかりやすい特徴を見て雑に判断する。レッテルを貼る。むろん私も例に漏れずそうしている。

 

総じて消費に忙殺された世の中において、他人のプライオリティは低下し、ひとりひとりの扱いが以前よりも軽く、そして雑になる。

 

例えば最近は、『気に入らない相手は切断してしまおう』的な言説がしばしばバズっているが、これはひとえに他人を容易に取捨選択できるようになったからだ。今や他人は簡単にポイして取り替えられる。つまらない交友(コンテンツ)はチェンジしてしまえばいい。一生ものの親友ならともかく、インスタントな関係ならいくらでも替えは利く。なにしろインターネットというコンビニエンスストアに、見渡す限りのオモチャが陳列されているから。

 

 

つまみ食い対応

コンテンツの摂取がより高速化・簡素化したこの時代において、その構造やニーズを理解している人ほど、すでにつまみ食いできるよう自身のコンテンツを対応していたりする。オーディエンスがせっかちであることを理解したコンテンツ作りだ。

 

例えば

 

  • 前置きや能書きを省く
  • 結論から述べる
  • 見出しに主張を記載する
  • 活字嫌いに配慮し、箇条書きで簡潔にまとめる
  • インスタント性を売りにする(〇分でわかるシリーズなど)
  • 切り抜き動画を専門にする
  • 多少の空白時間すらカットしてテンポを上げる
  • オープニングを省略
  • ボリュームを減らす

 

などなど、すでにこのような工夫を施しているものをよく見かけるようになった。彼ら生産者は近年強まるユーザーのせっかちと、そこから生まれるニーズを理解した上で意図的にそうしている。客のことをよく理解してモノづくりをするあたり、伊達にプロフェッショナルではないなと思う。

 

例えば、私がよく遊んでいるプリンセスコネクトが、スキップだらけのお手軽サブゲー路線で売り出されている背景にはそういった理由があると言える。プリコネは時間を食わない上に、一定の話題性を持つからこそユーザーは離れられない。

 

是非はともかく、今はこうしたつまみ食い前提の端折ったコンテンツ作りが正しいのだろう。

 

私のブログにしたって、チンタラダラダラ書いたところで誰も精読しているハズはない。だが私は自己満足を目的として書いている以上、これからもチンタラダラダラと書く。それに、建前上そういうことにしけおけば、内容を詰める必要もなくなる。お陰様で誤字脱字も文法の誤りも多いが、結局飛ばし読みされているからバレない。

 

逃げ口上はバッチリ作ったということで、今回はこのあたりで終わりとしたい。さて、この記事はどのように消費されるのか。