報酬と罰が性格を作る

報酬と罰が性格を作る

 

大抵の飼い猫は、お腹がすくとニャーニャー(meow meow)騒ぎ出す。騒ぐと餌が出てくる。行為に対して報酬が発生することを学習した猫は、ますますそれをやめる理由がなくなる。そしてそれに頼り続ける。

 

もし "それ" をやめさせたくば、それで得をする状況を作らないことだ。そうすればリターンがないと学習してやらなくなる。これがしつけの基本であり、頭の良い人はこれを利用し、飴と鞭によって他人をコントロールしている。

 

 

 

怒りっぽい人はなぜ頻繁に声を荒げるのか。

横暴な人はなぜ手をあげるのか。

泣く人はなぜすぐ泣くのか。

嘘つきはなぜ嘘つきなのか。

タスクから逃げる人はなぜ逃げるのか。

 

ここでは性格的なものについての話をしたい。なぜ人はその判断・行為を多用するのか。

 

言うまでもないこととして、その人が "それ" をする理由は、それが本人にとってもっともリターンが大きいと無意識的に判断(=学習)されているからか、あるいは視野狭窄でそれ以外の方法を知らない。

 

例えば、粗野な人が対人上の問題ですぐキレて暴力に走る理由は、これまでの人生において、幸か不幸か暴力によって "解決できてしまった" ケースが多いからであり、それ以外の上手い対処を学ぶことができなかった。

 

 

ある問題が発生した

力づくで対応した

解決できた

自分の中で暴力の有効性を高く評価する

何か問題が起きるたびに暴力を振るって解決しようとする

 

 

知能の高い人の場合は、対人上の問題を言語コミュニケーションで解決できることが多く、それゆえ暴力に訴える必要はあまり多くない。

 

一方で知能が低い人にそれは難しく、それゆえ暴力による積極的な物理的解決をはかろうとする。頭の悪い人ほど暴力的な傾向にある理由はそれだ。問題を話し合いや議論で解決できないからこそ、相手を暴力によって服従させたがる。暴力でしか指導できないタイプの親や指導者も、だいたい同じ理由を抱えている。

 

一時的なものとはいえ、暴力ほど効率のいい指導は他にはないぞ。森田ぁ。

 

───法月将臣

 

言葉で相手を従わせるか、暴力で相手を従わせるか。秩序が未発達だった昔ほど後者が優位だったのだろうが、文明が高度化して知能で殴る時代になった現代は前者の方が優位だ。

 

とは言え、決して暴力が無効になったわけではなく、現実がフィジカルに即している以上、まだまだ暴力で解決できる場面は多い。たとえどんなインテリやセレブや高飛車な女性だろうと殴れば全身を痛みに支配され、そして恐怖から屈従する。ただし暴力は後で警察のお世話になる諸刃の剣だ。秩序あるこの社会において、暴力は許容されない。

 

その一方、知能で他人を殴っても大抵は罪に問われず、したがって現代に適応した人は暴力ではなく知能によって他人をやりくるめている。暴力で他人から財産を奪ってはならないが、(詐欺などの犯罪ならともかく)知能により他人から主体的に献上させるのは罪に問われない。わかりやすいところで言えば、ぼったくりや情弱ビジネスや底上げ弁当などがそうだ。

 

 

話が逸れたので戻したい。

 

怒りっぽい人が頻繁に声を荒げる理由は、怒鳴ることで相手が萎縮して従うことを学習してきたから。すぐ泣く人は泣くことで同情や庇護といったサポートを得られたから。タスクから逃げる人は、逃げることで今までなんとかなってきたから。すぐ不機嫌になる人は不機嫌で配慮を引き出し、そうやって他人をコントロールしてきたから。

 

ということについて考えた場合、ある性格的特徴を持つ他人を見たとき、その人がそれをする理由は、今までそれを主観的な最適解としてきたからで、それが本人にとってのメインウェポンだったと言える。もっぱら今までの人生を "それ" で切り抜けてきた。

 

対象が多様する所作とはすなわち、その人の処世術であり生き様であると言える。

 

もしもあなたがおかしな振る舞いやロジックを振りかざす他人を認めたとき、その時は不快感や義憤ではなく慈悲の心を持たなければならない。『あぁ、この人は今までこうやって生きてきたんだ。こうするしかなかったか、あるいはこれしか知らなかったんだ。なんだかかわいそうだ』と。こっち見んな。