【ホビーハラスメント】他人の趣味を否定するのはナンセンスという話

他人の趣味を否定するのはナンセンスという話

 

社会の監視のもとに暮らす人は、娯楽のときですら真っ先に考えるのは世の中に合わせることである。いつも大勢に順応していたいのだ。何かを選ぶときも、普通に行われているものの中からしか選ばない。人とは違った趣味や、変わった行動は犯罪のように避けようとする。

 

───ジョン・スチュアート・ミル 『自由論』

 

 

他人の趣味を否定する人って絶対いますよね。人が100人いれば、その中に13人くらいはいると思います。

 

今これを見ているあなたも、例えば

 

  • 『それ何が楽しいの?』(理解する気もないのに質問してくる)
  • 『生産性が無い / 役に立たない』
  • 『お金の無駄遣い』
  • 『幼稚 / いい年こいて~』

 

だいたいこんな感じの内容を一度は言われたことがあるでしょうし、場合によっては他人へ投げかけた経験があると思います。男性なら収集趣味やアイドルの追っかけやアダルト関連の趣味を否定されやすいですし、女性ならネイルや美容などといった "カワイイ" を追求する行為を否定されたりします。

 

こうした他人の趣味を否定する人というのは、わざわざそれを口にした時点で『こんなしょうもない趣味を持っているヤツより自分の方がマシな人間だ』と思っているわけですが、実は相手の趣味をわざわざ否定する人こそがもっとも寂しい人間性の持ち主だったりします。

 

 

趣味の目的とは

趣味の目的とは

 

そもそも趣味の目的とは何でしょうか。なぜ人は趣味に興じるのでしょうか。

 

と考えた場合、趣味とは第一に自分を楽しませるものであり、また癒しやガス抜き───リフレッシュでもあります。趣味とは概して他人を楽しませることを目的としているのではありません。

 

もちろん、本人が楽しんだ上で他人も楽しめる趣味なら御の字でしょうが、『自身の趣味で他人を楽しませなければならない』とする規範や暗黙の了解は存在しません。趣味とは本来、(周囲に迷惑をかけなければ)自分さえ楽しければそれで良くて、それを他人にとやかく言われる筋合いはありません。

 

ですので、他人から『お前のその趣味、何が楽しいのかわかんないんだけど~(笑)』などのハラスメントを受けたとしても、『お前を楽しませるためにやってるわけじゃない。お前の興味も理解も必要ない』と正論で返せば良いのです。

 

ちなみにですが、他人の趣味を否定するために突っかかることを "ホビーハラスメント(通称:ホビハラ)" と言います。今風な新出概念ですね。元はオタク差別の対抗として生み出されたワードのようです。

 

お金の無駄遣いは当たり前

趣味とは生活のために行うものではなく、

 

  • 日常のストレス発散
  • 自己実現欲求の充足
  • 承認欲求および自己顕示欲の充足

 

主にこれらのために存在していますので、多くの趣味が実生活へ対して直接的に寄与しない以上、無駄遣いの範疇に留まざるを得ません。

 

例えば、絵画集めをしている人を悪く表現すれば『ネットから画像を印刷すればいいものを、わざわざ大金はたいてアナログの紙切れを買う変人』となり、これは無駄遣い以外の何物でもありませんが、こうした無駄遣いを伴う享楽こそが趣味です。趣味とは言い換えれば遊びであり、生活に必要のないものに対する消費が客観的に見て無駄であることは当然です。

 

むろん、例えば日曜大工だとかプログラミングだとか料理だとか読書だとか、そうした特定の趣味が生活を彩ったりスキルアップに繋がる例も中にはあるでしょう。しかし、大抵の趣味がお金の無駄遣いであるのは当たり前のことです。

 

趣味に対して有益性や生産性を問い求める人というのは、『趣味とは生産的あるいは実用的でなければならない / 生産性のない営みは悪である』などと考え、融通の利かない合理主義・生産主義を内面化させていますので、この手の人はわざわざ自分で趣味の選択肢を狭めて生きにくくしているとも言えます。いわゆる縛りプレイですね。

 

そもそもガス抜きのためにある趣味がお金の無駄だと言うのなら、一般的な俗っぽい交際とそれにかかる費用(交際費)も無駄ということになってしまいます。このように実用性や生産性ばかりを追求していると、結果として自分が生きにくくなるだけです。

 

『趣味や嗜みは生産的でなければならない』という勝手な自分ルールを己に課すのは勝手ですが、それを他人に問うたり押し付けたりするのはお門違いです。

 

浪費するのを楽しんだ時間は、浪費された時間ではない。

 

The time you enjoy wasting is not wasted time.

 

───バートランド・ラッセル (イギリスの偉人)

 

 

人によって楽しいを感じる対象は違う

人によって楽しいを感じる対象は違う

 

世間におけるありがちな常套句に『どう感じるかは人それぞれ』とするものがあり、これはまさにその通りで、その趣味を楽しいと思うかどうかは個々人の感性次第です。ファッションの感性と同じです。

 

あなたが『つまらない / くだらない』と思う趣味を楽しいと感じる人たちがいるように、あなたの趣味に対しても同様の考えを抱く人がいます。つまり、趣味に関しては感性の不一致を理由としてわかり合うことができません。青が好きな人と赤が好きな人の好みが永遠に一致しないのと同じです。

 

ですので、他人の趣味(感性)を否定するのはきわめて不毛です。感性の不一致に過ぎないことでいちいち突っかかるなど、おおよそ理性的な者の振る舞いとは呼べません。

 

真に理性的な人は『自分はこれを楽しいとは思わないけれど、これを楽しいと思う人がいることを知っている』という "Not for me(私には合わなかった)" 的な寛容な考え方ができます。自分に理解できないことを否定する人とは大違いです。

 

 

これらのことから、他人の趣味を否定することは総じてナンセンスであり、それを行った時点でバカにしている相手以下と言わざるを得ません。

 

それがわからない人が他人の趣味を否定しています。

 

『いい年こいて』なんて無い

べつに何歳の人がどんな趣味を持っていたっていいんです。他人に迷惑をかけてさえいなければ、どんなに年不相応とされる趣味をしていても悪ではありませんし、糾弾されるべきではありません。

 

逆に『いい年こいて』が信条と化している人というのは、先ほど挙げた『趣味とは生産的あるいは実用的でなければならない』と考えるのと同様に、自分の選択肢へ『趣味とは年相応でなければならない』とする制約(縛り)を設けていることになりますので、わざわざ自分で自分を生きにくくしていると言えます。

 

たしかに年不相応とされかねない趣味の嗜みへは、プライドや世間体が邪魔をする部分もあるでしょうが、『いい年こいて』というのもナンセンスな話です。自分がそれを楽しいと思い、そこから生き甲斐や活力を得られるのであれば、他人の意見など関係ありません。序盤に述べた通り、趣味とは他人のためのものではありませんし、普通の人を演じるべく取り組むものでもないのですから。

 

 

他人の趣味を否定する人とは距離を置きましょう

他人の趣味を否定する人とは距離を置きましょう

 

他人の趣味を否定する人は『自分の方が優れている』だとか『自分の方が合理的』などと考えているでしょう。しかし、彼らはこれまで話してきた

 

  • 趣味とは第一に自分のためにある
  • 感性は人それぞれ
  • 趣味で生産性や実利を追求しなければならない道理はない

 

という当たり前のことを許容していない可能性が高いので、少なくとも理性的ではありませんし、他人の趣味の否定を内心の自由のみならず実際に行動へ移してしまう加害的人物というあたり、なるべく距離を置くに越したことはありません。個人主義の時代にそんなことをやっているのは感性が古めかしい証拠です。

 

もし友達や知人が趣味にとやかく言ってきたのなら、今一度関係を見直した方が良いかもしれません。

 

 

これからの時代は他人の趣味を否定することなく、そして他人から否定(ホビーハラスメント)されることのない、個々人が尊重される社会になれば良いなと思うとともに、是非ともこのホビーハラスメントという概念を広めていきたいものです。